権力とは何か―理論的考察?
たまには他の社会科学系のブログとも交流を持ちたいところなのだが、コメント欄への投稿だと表現に制約がかかる(リッチテキストではない、読みにくい、など)し、議論の過程はオープンにしたいのでメールは使いたくない。そういうときのトラックバック。
ということで本日から、少しずつ他サイトさんからの引用+トラックバックで、まああちらさんが気づくかどうかは知らないが、少しずつ色々な社会科学系ブログにリンクを張っていきたいと思う。
第一弾は、「『権力とは何か』 in 左翼というのはプライドたりえるのだろうか」by lefty氏。
では、あちらさんのブログから、「『権力』の定義」を引用してみる。
何がいいたいかというと、権力とは、要するに「軍隊を動かせる力」に他ならないわけです。えっと、当たらずしも遠からずだよね、というのが感想。まあそれは「当たっていない」ということを意味するのだが。
「ナントカ法第何条より~」とか御託を並べたところで軍隊が「うるせえ、黙れ」って言ったら何もならないわけです。
というか、そもそも抽象的概念である「権力」の定義内において、「権力」というワードよりも抽象度の落ちる「軍隊」というワードを使ってしまった時点で、「定義」が「定義」でなくなってしまうのではないだろうか(何故そうなるか、ということは論理学的な難しい命題のような気がするので省略するが、とりあえず「三角形とは、その種類のうちに二等辺三角形を含むものである」というのが何の定義にもなっていないのは明白であろう)。
定義の客体が(より具体的な概念である)「国家権力」ならばそれはある程度正しいとは思うのだが、上記定義(「定義でなくなってしまう」と書いたが、便宜上「定義」で統一する)の客体を「権力一般」にまで押し広げてしまったことに、この理論のそもそもの蹉跌がある。つまづいた定義を、一般論として個別的事例に適用すると、以下のような結果が得られる(らしい)。
どっかの市役所の課長は係長より権力を持っています。
それがどういうことかというと、突き詰めれば係長と課長が意見が対立した時、最終的に軍隊は課長の言うことを聞く、という担保があるから、課長は係長より権力があるわけです。
「最終的」って、どこまで最終なんだそれは。確かにたどりたどっていけば軍隊に行き着くかもしれないが、それでもこの理論があまりに不自然であるのは、やはり「定義の方法」がマズいからであろう。この「定義の方法のマズさ」というのは、以下の2点に大別できるように思われる。
- 抽象度の問題
- 前提の実現可能性の問題
これは最初に検討したとおりである。「権力」とは、抽象的に「他に対して命令し、大概そのとおり行動させる力」(「軍隊を動かせる力」を抽象化し、一部修正したもの)とでも定義しておけば足りるのであって、そこにわざわざ「軍隊」という具体的タームを持ち出す必要性はないのである。
このように定義すれば、「軍隊こそ権力の源である」(要約)といったあちら様の主張も、「軍隊が他に対して命令すれば、大概その物理的強制力でその命令を実行させることができるから」と説明できる。そして確かに、軍隊はその実効性圧力の高さゆえに、他に対して命令すれば、大概そのとおりに行動してもらえる。だからこその文民統制・法の支配であり、lefty氏に対し当たらずしも遠からずといったのはこの趣旨である。
その2。「前提の実現可能性の問題」。
瑞穂ちゃんの総理自称が軍隊の承認を得て通ってしまう、なんて起こりえない事態を想定してはいけない。そもそも、そんな事態が起こりうる「領域」を僕は「国家」と認めないし、その文脈でいけば当該「軍隊」も単なる「物理的強制力」である。
要するに、lefty氏の意見は、結論においてはかなりの程度是認できるが、そこに至る理論に重大な瑕疵があると言わざるを得ない。
そしてそれに対して「凄く勉強になりました」という人も居るのであるが、まあそのような状況を見てると「自分で考えることって大事だな」と痛感させられる今日この頃である。
なお、今回のエントリにおける僕の口調を少々毒舌に思われる方もいるかもしれないが、それは僕がlefty氏を嫌っているから、ではないことを明記しておく(むしろ今のご時勢学生の立場で政治的主張を頑張ろうという志は、素で尊敬に値するといえる)。
あと、彼のブログのURLにある「meiwakoko」って何だろうか。そういう名前の高校と深いつながりのあるような気がするのだが、自分。
結局政治について論じてないが、そのうちやります。


