2007年6月16日土曜日

権力とは何か―理論的考察?

たまには他の社会科学系のブログとも交流を持ちたいところなのだが、コメント欄への投稿だと表現に制約がかかる(リッチテキストではない、読みにくい、など)し、議論の過程はオープンにしたいのでメールは使いたくない。そういうときのトラックバック
ということで本日から、少しずつ他サイトさんからの引用+トラックバックで、まああちらさんが気づくかどうかは知らないが、少しずつ色々な社会科学系ブログにリンクを張っていきたいと思う。

第一弾は、「『権力とは何か』 in 左翼というのはプライドたりえるのだろうか」by lefty氏。


では、あちらさんのブログから、「『権力』の定義」を引用してみる。
何がいいたいかというと、権力とは、要するに「軍隊を動かせる力」に他ならないわけです。
「ナントカ法第何条より~」とか御託を並べたところで軍隊が「うるせえ、黙れ」って言ったら何もならないわけです。
えっと、当たらずしも遠からずだよね、というのが感想。まあそれは「当たっていない」ということを意味するのだが。
というか、そもそも抽象的概念である「権力」の定義内において、「権力」というワードよりも抽象度の落ちる「軍隊」というワードを使ってしまった時点で、「定義」が「定義」でなくなってしまうのではないだろうか(何故そうなるか、ということは論理学的な難しい命題のような気がするので省略するが、とりあえず「三角形とは、その種類のうちに二等辺三角形を含むものである」というのが何の定義にもなっていないのは明白であろう)
定義の客体が(より具体的な概念である)国家権力」ならばそれはある程度正しいとは思うのだが、上記定義(「定義でなくなってしまう」と書いたが、便宜上「定義」で統一する)の客体を「権力一般」にまで押し広げてしまったことに、この理論のそもそもの蹉跌がある。つまづいた定義を、一般論として個別的事例に適用すると、以下のような結果が得られる(らしい)。

どっかの市役所の課長は係長より権力を持っています。
それがどういうことかというと、突き詰めれば係長と課長が意見が対立した時、最終的に軍隊は課長の言うことを聞く、という担保があるから、課長は係長より権力があるわけです。


最終的」って、どこまで最終なんだそれは。確かにたどりたどっていけば軍隊に行き着くかもしれないが、それでもこの理論があまりに不自然であるのは、やはり「定義の方法」がマズいからであろう。この「定義の方法のマズさ」というのは、以下の2点に大別できるように思われる。
  1. 抽象度の問題
  2. 前提の実現可能性の問題
まず、1の「抽象度の問題」について。
これは最初に検討したとおりである。「権力」とは、抽象的に「他に対して命令し、大概そのとおり行動させる力(「軍隊を動かせる力」を抽象化し、一部修正したもの)とでも定義しておけば足りるのであって、そこにわざわざ「軍隊」という具体的タームを持ち出す必要性はないのである。
このように定義すれば、「軍隊こそ権力の源である」(要約)といったあちら様の主張も、「軍隊が他に対して命令すれば、大概その物理的強制力でその命令を実行させることができるから」と説明できる。そして確かに、軍隊はその実効性圧力の高さゆえに、他に対して命令すれば、大概そのとおりに行動してもらえる。だからこその文民統制・法の支配であり、lefty氏に対し当たらずしも遠からずといったのはこの趣旨である。

その2。「前提の実現可能性の問題」。
瑞穂ちゃんの総理自称が軍隊の承認を得て通ってしまう、なんて起こりえない事態を想定してはいけない。そもそも、そんな事態が起こりうる「領域」を僕は「国家」と認めないし、その文脈でいけば当該「軍隊」も単なる「物理的強制力」である。

要するに、lefty氏の意見は、結論においてはかなりの程度是認できるが、そこに至る理論に重大な瑕疵があると言わざるを得ない

そしてそれに対して「凄く勉強になりました」という人も居るのであるが、まあそのような状況を見てると「自分で考えることって大事だな」と痛感させられる今日この頃である。

なお、今回のエントリにおける僕の口調を少々毒舌に思われる方もいるかもしれないが、それは僕がlefty氏を嫌っているから、ではないことを明記しておく(むしろ今のご時勢学生の立場で政治的主張を頑張ろうという志は、素で尊敬に値するといえる)。

あと、彼のブログのURLにある「meiwakoko」って何だろうか。そういう名前の高校と深いつながりのあるような気がするのだが、自分。


結局政治について論じてないが、そのうちやります。


3 コメント:

ヒマな学生 さんのコメント...

お初にお目にかかります。
とは言っても、leftyさんの所に書き込んだ俺のコメントを貴方は知っているかもしれませんが。

それで俺は貴方の言うとおり、lefty氏に対して
>「凄く勉強になりました」という人
であります。そして、
>「自分で考えることって大事だな」
と痛感すべき人なのでもありましょう。

んー、ここまで書いた所で、これから先の事が全て愚痴になってしまう事に気付きました。どうしよう。
まあ、とりあえず一言。
自分で考えた上でleftyさんの結論に、勉強になった、と言う事自体はおかしくないのでは?
……これもやっぱり自己擁護かな。
ろくな質問にも感想にもなってませんが、以上です。

kousuke さんのコメント...

どうも、はじめまして。

とりあえず、クエスチョンマークのついているところあたりは僕への質問になっているようなので、お答えしますね。

僕が書いた「自分で考える」というのは、エントリの文脈からある程度推察していただけると思いますが、「不自然なことについて批判的に考える」ということであります。
そして僕は、当該エントリ中では、lefty氏の「権力の定義」について、一般的・客観的に見て不自然であるという前提に立ち、その前提を証明しようとしたわけです(証明が成功しているかどうかは別問題として)。
この前提からすれば、まああのエントリに対してコメントを加えるならば、その不自然さに対して、それを鵜呑みにせず一定程度批判的考察を加えるべきだということになるでしょう。(つまり、「自分で考えることって大事だな」という言葉の趣旨はここにあります)

しかし、この前提は、僕が最初からlefty氏の定義に対して不自然だと思っていることと、おそらく多くの人も不自然だと思うであろうということを意味しますが、それでも「lefty氏の定義が自然であると思う人(つまり、ヒマな学生さんのような立場の人)がいる可能性」を排除するものではありません。
なぜならば、そのような立場も、もしかしたら有り得るからです。
もちろん、その「有り得る」を僕が納得するためには、その立場にある人が、どのような考えの筋道を通ってその結論に至ったのかを僕に対して証明する必要があるはずです。(要するに、僕のエントリに対する反論のような形式ですな。)

と、いうわけで、「自分で考えた上でleftyさんの結論に、勉強になった、と言う事」がおかしいかどうかは、ヒマな学生さんがどう「自分で考え」たのか、これによるのではないでしょうか。
ヒマな学生さんが、どう「自分で考え」たのか、きちんと合理的に考えられていたならば、確かに「おかしくない」のでしょうが、その筋道が示されていない以上、僕はおかしいかどうかの判断を出しかねます。

エントリ並みに長くなりましたが、こんな感じでよろしいですかね。。。
ういでは。

ヒマな学生 さんのコメント...

お返事ありがとうございます。
ええと、こんな愚痴にも似たコメントに返事が来るとは思っていなかったので、ちょっと驚きを隠せませんがw
とりあえず、「自分で考える」と言う事については、kousukeさんの定義に納得がいきました。そして、leftyさんの定義が自然である、という事を全肯定することは俺にはできないので(leftyさんは自分の主張を通すために誇張した表現を使う傾向があるな、とは思っておりましたので)、反論は特にありません。

俺はまだ政治に関して自主的に学んだ経験が浅く、ここやleftyさんの所のように自らを省みる材料になる物があれば、何だってありがたいという状態なので、このエントリーは批判する為の論理という物を学ぶ上で実に参考になりました。
長くなる前にここらで〆ときますw それでは。