2008年2月20日水曜日

カポネ

ベトナム風生春巻きにキムチを入れると激ウマ。(はい、こんにちは)

今日は佐藤賢一がかの有名な「闇の帝王」を描いた歴史小説『カポネ』(角川書店、2005)の感想。
古代~中世のヨーロッパを描いているイメージがある著者にしては、1900年代初頭のアメリカ、と特異な設定であるわけだが・・・


場所がアメリカ、時代が近代に移っても佐藤賢一節は変わらない。
剣闘士スパルタクス』にしても、『傭兵ピエール』、『双頭の鷲』にしても、はたまた日本を描いた『女信長』にしても、この人の小説の流れの中には「ストラテジーゲームっぽさ」がある。そして、本作も例外ではない。
「ストラテジーゲームっぽさ」と言っても、ストラテジーゲーム戦略シミュレーションゲーム。「信長の野望」「大戦略」「Age of Empire」などが有名。)をしない人には理解できないかもしれないが、要するに、プレイヤーが内政・外交で辣腕を振るい、富国強兵を目指して他の勢力と闘うゲームのことをストラテジーゲームといい、そのストラテジーゲームさながらに、主人公たち(剣闘士スパルタクスだったり傭兵ピエールだったり大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランだったり)が、自己の勢力を増強し、苦闘しながら栄光の道を歩む、というのが、佐藤賢一小説お決まりのパターンなのである。
そして、本作『カポネ』における、アメリカの大ギャング、アルフォンソ・ガブリエル・カポネも、先に挙げた男達(まあ『女信長』の主人公は女だが)の例に漏れず、「ストラテジーゲームっぽさ」一直線である。
ギャングのボスに取り入り、成果を上げることで出世、禁酒法を逆手にとって金を儲け、儲けた金で官憲を買収しつつビジネスを拡大、それらが以降の一方で他の勢力(ギャング)を武力で制圧・・・これをストラテジーゲームと呼ばずになんと呼ぼう

物語の前半、イタリア系移民の悪ガキでしかないアル・カポネが闇の帝王に上り詰めるまでは、以上のような流れであるが、後半はまた違った味わいがある。
前半がカポネ隆盛の物語だとすれば、後半は彼の転落の物語である。
前半のカポネ一派vs他のギャングという構図は、後半になってカポネ・ファミリーvsアメリカ合衆国という構図に塗り替えられる。そして、役者が入れ替わると、戦いが始まる。
前半の戦いが「富国強兵・勢力拡大に伴う勢力間での紛争」だとすると、後半の闘いは「勢力を最大まで拡大した後、2大勢力が雌雄を決するための最終戦争」とでも言おうか。
しかし、連邦政府に比肩する財力を持つ英雄・アル・カポネは意外とあっけなく敗れ去る。何故か。

思うに、それは彼がツンデレだからである。
いや、彼だけではなく、佐藤賢一の描く主人公というのは大概にしてツンデレである
例えば剣闘士スパルタクス。口では大きなことを言って世紀の反乱軍のリーダーまで上り詰めるが、結局のところは剣闘士生活が恋しいとか、認められたいとか、そういうところに落ち着いてしまう。
『女信長』の「御長(信長)」も、光秀バカバカバカ、金柑頭、とかそういうことを言っておいて、やっぱり好きなんだから真正のツンデレ大名である。
そして、本作のアル・カポネ。アメリカの法はイタリアのデーゴ(貧民)を守っちゃくれない、だから俺が法になるんだ、俺は裏の政府だ、とか何とかいいながら、この男もやはりアメリカ人になりたかった。それができたのにもかかわらず、裁判ではアメリカの法に敢えて逆らおうともしなかった。
このように、佐藤賢一小説の主人公は、口と内心が逆方向を向いていることが多々ある。カポネにしても、ツンの時は暗黒街の帝王なのに、デレを見せると弱い。デレモードを合衆国に攻められ、負けた印象がある。

それにしても佐藤賢一は締めが上手い。
この小説もそうで、喧嘩に始まり喧嘩に終わる。アル・カポネが転落し、死んでしまったとしても、英雄としてではなく、もっと身近な恩人として彼を忘れない人は多い。
佐藤賢一の締めはやはり上手い。

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