斉藤英治『王様の速読術』
gremzを育てたいのと、やはりたまにはアウトプットもしないとそっち方面が鈍るので、2ヶ月ぶり以上の書評。
もちろんこの二ヶ月にも本を読んでいたことは『今月の本』のラベルを見ていただければ分かるのだけど、取り立てて、他人の目に留まるところに感想を書こうと思ったのは、この本が久しぶり、というわけでもないんだけど、ええいまあいいや。とりあえず、斉藤英治『王様の速読術』(2006、ダイヤモンド社)の感想。
感想に行く前に、最近読んだビジネス書(?)の類を列挙して、それらとの対比でこの本について語ってみようと思う。
時系列順でいくと、
神田昌典『図解! あなたもいままでの10倍速く本が読める』(フォレスト出版、2005)あたりが最初。この本は、「細かい理屈はさておき、ノー味噌フル活用のフォトリーディングだイ゙ェア!」的なノリで書かれている。が、実践者・成功者の類は多いし、広く認められているので、アヤシイ本ではない。1000円と安価なので、使い込む本というよりはフォトリーディング講習の宣伝本を兼ねているのではないかと思われるが、それでも取っ掛かりとしては◎。
次は、勝間和代『効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法』(ダイヤモンド社、2007)。購入時は「Google」というキーワードに釣られた感もあったが、これもなかなかいい本。「こういう心構えが効率を上げる」という一般論もあるが、「こうすれば効率を上げられる」、あるいは「私はこうやって効率を上げている」という具体的方法に詳しい。どちらかといえば短期で成果を挙げたい人向け、なのだろうか。長期的には、個々の具体的方法の後ろにある「勝間哲学」の理解が必要?
そして、照屋華子ほか『ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル』(東洋経済新報社、2001)。情報の「整理→アウトプット」のプロセス改善に特化した本。「なぜそうすべきか」という理由付けから、具体的な実践方法・演習問題まで幅広くカバーしていて、得られるものは大きい。しかし、学生の身では、なかなか学んだことを生かす機会が無い(この前のゼミ発表でMECEってみたが)。
で、『王様の速読術』に至るわけだが、これら3冊と比較すると、『王様』は初心者向け。縦書きで活字が大きく、イラストやサブストーリー付きで、大局的にも局地的にも、かなり読みやすい。読みやすい割りに内容は充実している。ハードカバー1500円なので、1文字あたりの価格は高いかもしれないが、それを補って余りある内容、だと思う。では、何が良いのか。
この本の良さは、「発想を転換させてくれる」ところにある。今まで自分の中では「常識」だったことが、効率的な情報収集の妨げとなっていたという事実に気づかせてくれるのである。だから、既に発想の転換をしている人にとっては、あまり実りのある本ではないのかもしれない。で、「発想の転換」が起こるのは、主として以下の点においてである。
1.「家来は本だ。王様はきみだ。」
「本は家来だ」の方が文法的に正しい気もするが、それだと「王様はきみだ」のつながりと整合性がないのだ。
要するに、主体的に本を読まにゃあイカンよ、ということ。本に「読まされる」読み方というのは良くない。目的を持ち、あくまで「家来」=「(単なる?)情報源」として本を扱おう、という姿勢が大事なのだ。多分。
このことは上に挙げたフォトリー入門書にも書いてあるのだが、説得力の強さでは『王様』に軍配が上がる。
2.「『読む時間』を30分に短縮するんじゃない。30分読んで理解するのだ。」
1に包含される気がしないでもないが、それでも重要だと思ったので独立の地位を与えておく。
要するに、本全体を30分で読めるまでに速読を鍛えよう、という心の持ち方はよろしくなく、それよりも本全体とかそういうことはいいから、とりあえず30分で必要な知識を吸収すればいいじゃん、というスタンスが、情報吸収の点からは優れているのだ、ということ。どうせ本は家来で、いつでも控えて居るのだから、30分あればオールオーケー。
これもフォトリーディングと共通した考え方といえないでもないだろうが、明らかに踏み込んで言っているのは『王様』。
3.「本自体を知れ!」
『王様』曰く、フォトリーディングにおいては無視されている点。
本・章立て・センテンスの構造を知ってこそ、効率的な読書ができるというのは、確かにそうだろう。
しかし、この世、特に日本にはそういうのを無視してる人も多くてですな・・・という欠点もあるが。
と、発想の転換という点については、こんな感じ。
あとは細かい方法論などが書かれているのだが、まあフォトリーディング本を読んだ後では、オマケみたいなものだろうか。
なんか上で「比較用」にビジネス書を列挙したけど、結局比較してなくてごめんなさい。
とりあえず、どれも良い本だということが分かっていただければ。
あと、話はズレますが、『王様』192ページに右脳と左脳の図があるんですよ。
左脳は言語的、論理的、文字、分析・計算、記号的、直列思考を司り、右脳は映像的、直感的、イメージ、総合・創造、絵画・音楽、並列志向らしい。
なんか最近のネット周りを見てると、左脳的な空間から右脳的なモノへと変化しているような気がするんだけど、どうだろうか。データの転送量が増えれば扱うコンテンツは右脳的になるのかもしれないけど、構造的にも右脳化しているというかなんというか。(タグブラウジングとかソーシャルブクマ、ついったなんかも右脳的じゃないの?という意味で。)
2 コメント:
話がずれての部分にあえてコメントレス><
脳の話ですが、左腕が右脳、右腕が左脳と逆になっているそうですね。絵とか想像力を働かせたい自分としては左腕を動かしてたほうが右脳をよく使うわけで、いいことなのだろうか?でも完全右利きでオワタ(´・ω・`)
愚痴はその辺にして…「右脳的になっている」は俺もそう思うねぇ。HPにもデザインでひきつけるみたいな考え方が定着してきてるし。ネットだけじゃなくて現実世界でもさ、俺らのときすでに数学の教科書がカラーになったわけで、図で説明ってのが多かった気がする。今の中学生の教科書とか見ても、理論的に書いてあるとはぜんぜん思えないね。まず1ページの文字数がすくないし(汗
ん?ちょっと話し違うか?
「俺らのときすでに」が「らきすた」に見えて、そういえばらき☆すたの登場人物は、こなた両きき、他のメイン3人とみさお・あやの・ゆたかとか、ほとんど左利きらしい。wikipediaによると。
まあ人によって捉え方は違うだろうけど、俺の言った「右脳的」ってのは、主にソーシャルブクマやタブブラウジングなんかが、並列的・統合的なんじゃないかと。あと、ipodは直感的インターフェースという感じがする。
で、結局左利きが多いのは、「かがみ」が主人公だからだ、というオチなのか。
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