英国法学部の入門書を読み終えた
最近更新が遅いけど、実は新学期はまだ始まっていない。(こんにちは)
というわけで、以前書いた「英国法の入門書を読んでみる~その1」(Nicolas J. McBride『Letters to a Law Student』(PEARSON Longman,2007)の感想)の続き。
しかしこの本、2006年夏にアイルランドで買った気がするんだけど、気のせいかな。
「1日1章読む」というのが春休み当初の目的だったのだが、しかし英語オンリーの本を、1日に20ページも読むのは、このテの本初挑戦の僕にとって苦行以外の何物でもなく、1日1章という目的は開始数日で早くも挫折。ここはとりあえず「春休み中に読み終える」というラインで妥協することにし、そして先日、やっとのことで読み終えたのであった。購入してから1年半後のことである・・・。
というのはこの本を読み終えるに至るまでの僕の怠惰の記録であって、本書の内容とは全く関係ないし、読者の皆様方には、反面教師としての意味しか持たないので、ここは早々に切り上げ、感想とか書評とか、そっち方面に入ることにしたい。
まず、鋭い読者さんは気づいているかと思うが、エントリのタイトルが前のエントリ(英国法の入門書を読んでみる)と微妙に違っている。「読んでみる」が「読み終えた」になっているのは当たり前だが、それ以外に、「英国法の入門書」が「英国法学部の入門書」になっていることに気づいた方はおられるだろうか。
これは、読み進めるうち、この本が「英国法のアウトライン」とか「英国法学の概要」、あるいは「英国法を学ぶ上で知っておくべき基礎事項の羅列」を記したものではなく、むしろ「英国の法学部でいい成績をとるためのTips」とか「そもそも英国法学ぶってどんなトコよ?」的な内容をメインとすることに気づいたからである。より分かりやすくいえば、教科書というよりは実用書のむきがある、ということか。
この実用書性は、PART(章より上のレベルの区切り)の名前にもあらわれていて、例えばPART1は「Thinking About Studying Law」、2は「Preparing to Study Law」、続く3は「How to Study Law」、そして4「Preparing for Your Exams」、最後の5が「Thinking About Your Future」・・・という風に、法そのものの内容に触れるものではなく、あくまで法を学ぶ方法論が主なのだ。
具体的な内容を見ても、「いいエッセイの書き方」とか「ノートの作り方」、「復習の仕方」等々で、これを「英国法の入門書」と呼ぶのは、やはり無理がある。
しかしまあ、学術書ではなくハウツー本だからつまらないとかそういうことはあまりなく、知的好奇心をそそられる部分も多分にあった。
例えば、エッセーの書き方の例として刑法(殺人罪)が挙がっていたのだが、ここでは「殺人罪の故意はここからここまで」的な書き方がしてあり、ひょっとするとこれは、日本の刑法各論にあたる部分で故意を扱っているのか、などと思ったりした。
(どういうことかというと、日本の刑法の場合、犯罪の故意があるかどうかは、「結果発生の認識・予見があったか」等の抽象的なレベル(個々の犯罪、例えば窃盗と殺人で故意の有無を判断する基準が異なるものではない)で議論するわけだが、この本は「○○の予見可能性があったとき、殺人の故意があったといえるか」という、殺人罪という個別の構成要件につき、個別の故意の基準が設定されている。・・・節をにおわせている。気がする。このあたりは1年も前に習ったことだから、こっちに理解違いがあるかもしれない。)
また、索引(INDEX)に「CIVIL LAW(民法)」という項目がないのも、民法ゼミ生としては注目すべきポイントかもしれない。
もちろんこれは、イギリスには私人間の権利義務関係を規定する法律が存在しない、ということを表しているわけではなく、日本の民法に当たる法律が、「Contract Law」「Property Law」「Tort Law」「Family Law」として別々に存在しているだけのことらしい。しかし日本の民法総則にあたる規定はどこにあるんだろうとか、そういう疑問は残る。(おそらく全体に拡散しているのだろう。パンデクテンじゃないわけだし。)
あと気になった点としては、イギリス人は日本人が条番号を引用するのと同じ感覚で「○○対××事件」みたいな判例名を引用するんじゃないか、そしてそれは学部試験でも要求されているんじゃないかということ。
例えば日本の教科書では「判例は○○説を採用した(最判平成△△~)。」とか書かれているものの、法学部の試験ではカッコ内の判例番号(?)を書き、どの判例か特定することまでは要求されない(おそらく)。裁判所が何を言っているかが重要なのであり、いつどんな事件で言ったかは、それほど重要ではないわけだ(もちろん、どんな事実関係の下でその理論を立てたか、というのはかなり重要なんだろうけど)。
ところがNicolas先生は、「ちゃんと『「ハドリー対バクセンデール事件」によればカクカクシカジカである』と書きましょう」とおっしゃる。ここは流石判例法の国、と感心するしかないが、しかしオープンブック方式(持ち込み可)でないテストで判例名を書けとか、ちょっと厳しすぎやしないか。(だから、「各自で判例記憶促進のために『Case file』を作りましょう」ともおっしゃっているわけだが。)
他にもいくつか気づいたことはあるが、それはまた機会があれば。
で、この本を読み終えて、次なる英語の本を買ったわけだが(継続は力なり、なんて言うしね)、今度はアメリカ法の入門書(今度こそは法律の本だ!)、Jay M. Feinman『LAW 101』(OXFORD UNIVERSITY PRESS, 2006)。
ヤケに分厚い上に、1ページの情報量は、英語って活字小さいもんだから結構ハンパないと思うんだよね。どうしよう、コレ。とりあえず「夏休みまでに読了」を目標にしとく?長い?6月まで?
ちなみに「101」って何?「入門書」の意味?
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