ウェブ時代をゆく
アクセス解析曰く、この2日ほど座間から集中アクセスありき。もしかして米軍?
しかし見張られるようなことを書いた覚えもないんだがなあ。
と、いうわけで、今日は以前予告したような気がする梅田望夫『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書、2007)の書評。
著者は出版した本の感想でネット上にあるものは全部読んでるらしいので、このエントリもおそらく読まれる。
『ウェブ進化論』で一大センセーションを巻き起こし、アンチもシンパも多い梅田氏による、「ウェブ時代の人生のハウツー本」ともいえるこの本だが、とりあえず感想目次は以下の通り。
1.インターネットはおもしろいね
2.Googleの次はないんかね
3.理系は変わるかもしれないけど文系ってそんなに変わらないかもね
4.そして僕はどうしたらいいんだろうね
まず「1.インターネットはおもしろいね」だが、何を今更そんなこと、という人もいるかもしれない。
しかし、僕なんかは、梅田望夫の--『ウェブ進化論』から始まり本書に至る一連の『ウェブ本』における--最大の功績というのは、「ウェブ時代においてどう生きるか」を提示したということではなく、多くの人に対して「ウェブの凄さ」を痛感させたところにあると思うのである。
つまり、「いかに生きるか」という個別具体的な個人の信条にかかる提言というのは、個々人にとって参考になりこそすれ終局的に影響を持つファクターとはなりにくい(なぜならそれは個々人彼ら自身が決めることだから)。
しかし、「いかにウェブが存在するか」、すなわち客観的なウェブの態様というものは、個々人が各自で関与の程度を変えることはできても、態様自体を変えることはできない。
この「客観的態様」というのが巨大なインパクトを伴っているというのは今や周知の事実であるのだが、未だ曖昧模糊としていたこのインパクトを、具体的に知らしめたのが『ウェブ進化論』だった、と、こういうわけである。
まあ本書では「客観的態様の紹介」が鳴りを潜め、「いかに生きるべきか」がクローズアップされているのだが、それでもその道の成功者の行いというかあり方というかは、ウェブの様態と同じように多くの人に感銘を与えることだろう。
以上「1.インターネットはおもしろいね」では、インターネットを単なる「道具以上の道具」として紹介した本書(シリーズ)の功績、つまりは肯定的側面について書いたのだが、「2.Googleの次はないんかね」では、否定的とまでは行かないが、本書についての少々不満な点を書くことにする。
大体言いたいことはサブタイトルからお分かりいただけると思うが、本書においては「ヨッ、今はGoogleの時代!」というようなことは書いてありこそすれ、その次に何が起こるか、という点についてはあまり触れられていない。
確かに、Googleが時代の最先端を行く企業であり、理念的にも崇高なものを持っていることは否定すべくもないだろう。
しかし、本書において、「凄い変化が起こり、起こっており、起こるであろう年代(要約)」として紹介されている「1975年から2025年」の間の今に至る期間に、我々(いや、僕自身はこの期間の途中で生まれたのだが)が経験したプチ・パラダイムシフトは少なくないはずである(たとえばPCの普及、ネットの普及、「あちら側」への重点移動など)。
とすれば、2025年までの残された20年近くの間に、情報技術の世界においてもGoogleを凌ぐ「力の芽」が育たないとも限らない。いや、育つに違いない、と確信を込めて言うべきなのかもしれない。
で、あるにもかかわらず、本書には「Googleの次」を予測させるような記述は見当たらない。
あるいは、「Googleの次」に何が来るとしても、「ウェブ時代」であることに変わりはなく、本書が提案するのは「ウェブ時代」に普遍的に妥当するモデルだということか。あるいは、そういうことはこの本に求めるべき事柄ではないのか。
このサブトピックはちょっとまとまりが悪かったか。まあいいや。
(このエントリ次回以降いつかに続きます。)
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