2007年8月19日日曜日

ベクシル

いや、もちろんこのブログのメインテーマが「映画の感想」ではないことは重々承知しているつもりなのではあるけれど、それでも今年の夏は面白そうな映画が多すぎてですね、それでも今月はもうこれ以上映画の感想とか書くことはないと思うんで、まあ、今回は勘弁していただけたら幸いでございます。(しかし、Google Analyticsによれば、一番ページビューが多いのはこの記事だったりする)

ええ、昨日、公開初日に観に行ってきた『ベクシル 2077 日本鎖国』の感想ということで。


しかし何なんだろうなこの客入りの悪さは
盆休みの終わりかけの土曜日昼下がりで、公開初日のメジャー映画、といえばそれなりに客入りがあっても良さそうなものだが、僕の観に行った時間帯(15:10~)では計10席+αほどしか埋まっていなかった。
まあ田舎だとか、記録的な暑さで外出は控えたい心理があるとか(実際道路にも車は少なかったが)、そういった諸要因は考え付くところではあるのだが、しかし封切日にこの少なさってどうなんだろうか。
たとえば駅に隣接した映画館など、天候の影響を受けにくい場所ではどうだったのか、情報があれば教えてください。

肝心の内容だが、まあ画は凄いけどストーリーは予測しやすい。(なんか「画はいいけどストーリーは・・・」って感想が多い気がする今日この頃)
時は2077年、ハイテク鎖国から10年後の日本に潜入したアメリカの特殊部隊隊員・ベクシルが見た驚異の『日本』とは?」って、ありがち、というか、なかなか難しいものがあると思いませんか。

しかし、これは曽利文彦監督のストーリーテラーとしての手腕が悪いから、というよりは、むしろ、彼がストーリーテリングにあまり興味がなかったからなんじゃないか、なんて思ったりする。
つまり、曽利監督の経歴(本業はVFXプロデューサー、『ピンポン』で監督デビュー、映画『APPLESEED』もプロデュース)を見るかぎり、この人の本質的目標は「映像をいかにうまく表現するか」であり、「映画」というメディアはその目標を達成するための手段でしかないのではないか。
そうすると、「こういうものを表現したい」という「映像への欲望」が先に来て、その「こういうもの」を表現するのに最適な「ストーリー」が後から付加される、ということになる(もちろん、押井守監督が『攻殻機動隊』や『イノセンス』を撮ったように、原作を活かしつつ「映像への欲望」を充足することも不可能ではない)
そして、その意思で『ベクシル』が撮られたのだとしたら、監督に対しては「その気持ち、確かに受け取った」と言える。

映像への欲求が先にあり、ストーリーが後になることに抵抗を覚える人は多いかもしれない。
しかし、映画というのは娯楽かつ芸術であり、それら2つは本来、自由な創造から生まれいづるモノであるから、僕としては、このような映画の作り方も十二分に有り得ると考える。
もちろん、理念が有り得るのと興行的に成功するのとは別であり、観客の多数がストーリー重視を重視するならば、この手のクリエイターは淘汰されてしまう定めなのであろうが。

表現へのあくなき欲望、というのがこの映画の第一の印象だとすると、第二の印象は「とりあえずハリウッドで売るぜっ!」という野望だろうか。
主人公はアメリカの特殊部隊に所属するアメリカ人(片親がフランス人)だし、そのアメリカンがよくわからん勢力に支配された日本に潜入する、というのがストーリーの本筋である。
黒木メイサや谷原章介を声優に起用していることから、日本での初日の客入りが数十人、という実際にそうなったところまでは悲観的ではないにしろ、日本での興収は2の次にして、それよりもアメリカで張り切る、というのが製作側のスタンスなのであろうか。
BGMは「世界基準のビート」、minkに主題歌を歌わせたのは「英語も歌える」からだと言うし。

いや実際、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』しかり『真救世主伝説・北斗の拳』しかり『Genius Party』しかり、昨今の日本はアニメ映画に対して(観客も配給も)冷たいところがあるような気がして、だったら海外でスマッシュ目指そう、という心意気も理解できないではないよなあ、なんて思ってしまうのである。
今回は監督が過去に『ピンポン』である程度の成功を収めていたからよかったものの、『ベクシル』みたく原作モノじゃないアニメを大掛かりな予算組んで撮れる、なんてことはそうそうないだろう。(これでこの作品がヒットしなかったらなおさらそういう状況になるな。これは)

まあそういうわけで、監督の意向も汲み取って75点くらい付けときますか。
暑さに引きこもってる人は外へ出る口実として観に行ってもいいかもね。

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