2007年5月26日土曜日

『カリブの海賊』

という名はもはや体を表さなくなった三作目。
5月25日に観に行ったのだが、あと数席で満席のところにギリギリ滑り込むことができた。
パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド(原題『Pirates of the Caribbean: At World's End』)


2時間49分というそれなりの長編だし、しかも密度が濃いから、鑑賞後はもうおなかいっぱい、という感じ。無意識にネタバレを書くと困るから「89点。ハイ、それだけ。」で終わらせてもいいかもしれないが、それではエントリを作成した意味もあるまい。

と、いうわけで、ネタバレにならない程度に感想を書いてみる。

まず、この作品の『パイレーツ』3部作における配置を考えてみる。
おそらく本作『ワールド・エンド』は「自由への回帰」という位置づけになるのだろう。つまり、「自由の象徴」であるブラック・パール号の争奪戦の果てに、いろいろあってかの船を取り戻し、「あの水平線まで一直線だぜ!ヨーホー!」みたいなセリフとともに海の向こうに去って行くのが第一作である『呪われた海賊たち』。しかし、昔の契約の履行期が迫り、自由が脅かされ、最終的に水底へ沈んでいく第二作『デッドマンズ・チェスト』。第三作では、一作目の根底にあった「自由への意思」が、二作目で奪われていたこともあって思いっきり表出・噴出し、明らかに世界大戦レベルの海戦へと発展していく。それがどういう結末に落ち着くかは、まあ映画を観終わらないとわからない。

次に、各キャラクターの変遷をたどる。
ジャック・スパロウであるとか、キャプテン・バルボッサであるとかの、いわゆるベテラン俳優・ベテラン海賊は、本質的にはほとんど変化していないように見える。彼らは登場時から大人であり、キャラクターとして完成しきっており、変化の余地を残さずに3作品を突っ走る。
もっとも、そんな彼らも置かれたシチュエーションによっては違った顔を見せることもあるわけで、本作でいえばティーグさん(ネタバレの可能性があるので詳細は言わない)登場に際するジャックとか、そもそも呪われてない時点で一作目とは置かれた状況の違うバルボッサとか、少しずつ表情が違う。
一方、ウィル・ターナー(オーランド・ブルームの方)やエリザベス・スワンといった若手勢は、一作目と比べるとかなり変化している。たとえばウィルなんかは、まだまだ青二才で線も細く、ピカチューみたいな口(゚ω゚)をしていた一作目からは見違えるほど成長し、かなり逞しい海賊に成長する。エリザベスも、最初は深層の令嬢だったのが、いつの間にか剣を取り、浅黒くなり、髪もボサボサに。キーラ・ナイトレイについて、僕はあまりかわいいとは思わないのだが、世間ではどうも評価が高いらしく、かわいいという人が多い。しかし三作目のパンフレットには、客観的にみても「かわいい」とはとても言えないのではないかというカットも写っている。

ここで唐突に総括。
やはり『パイレーツ・オブ・カリビアン』という作品はエンターテイメント映画においてエポックメイキングなシロモノである。やはり続編のニーズも高いのだろう、ジェリー・ブラッカイマー(プロデューサー)とかジョニー・デップとかは、「続きがあればまたやりたいかもね」というようなことを言っている。
しかし、彼らエポックメイカーには、いつまでもブランドイメージに頼らず、全く別の作品をもって新しい映像世界を開拓してくれることを期待する。

あと、実はわが国も実は海賊大国なんじゃないかと思うんだ。
「倭寇」というのはネームバリューがあって、中国人も名乗ってたらしいし。だから日本人の海賊が出ても面白かったんじゃなかろうか。

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