2007年5月5日土曜日

姜尚中

憲法記念日に「憲法施行60周年記念市民のつどい」第一部講演・姜尚中『平和憲法のリアリズム 東北アジアの平和に向けて』を聴いてきた。
教科書を読んでレポートを書くか、この講演を聴いてレポートを書くかという選択性だったのでこちらを選んだのであって、姜教授のファンとかそういうわけではないのだが。

思ったよりたくさんの人が来ていた。だが、しかし。


来ている人の平均年齢が少々高すぎでないか。護憲派の皆さんはもうちょっと若年層にもウイングを広げないと数で押し切られる前に自然消滅してしまうのではないかという懸念がよぎる。
僕自身も結論としては護憲派に入るはずなので、他力本願ながら「市民」の皆様には若年層の取り込みなど頑張っていただきたいところである。

「結論としては」と書いたが、この点について少々説明。
つまり、僕は、9条の素直な(?)解釈を貫き通して一切の軍備を放棄するべきであり、それこそが理想なのだという「絶対平和主義者」ではないが、「立憲主義者」(自由主義者、リベラルのほうが表現的に近いかも)である。よって、いやしくも立憲主義国家という国家体制をとる以上、憲法というものを国家戦略と対峙するからという理由において改正するのは本末転倒だと考える。

じゃあ憲法は絶対改正できないじゃないか、という批判もあるだろう。しかし、僕もそこまで護憲に固執するわけではなく、国家が急迫の問題に直面していれば、そこでの改正は有り得ると考える。現在の改憲論議は明らかに「国家戦略」に基づいて憲法を変えようとするもので、「国家問題」に対処するためのそれではない。かかる改憲方針には反対である。

では自衛隊問題をはじめとする「現実との乖離」はどう説明するのか。
このへんは難しいところだが、解釈上一応の説明が成り立つ限りにおいて立憲主義が機能しているものだと考えている。つまり、(今のところ)自衛隊が他国に攻め入ることができないのも、日本に集団的自衛権が存在しないというのが通説であり政府見解なのも、立憲主義がある程度機能しているからだろう。あまり乖離しすぎると立憲主義の価値が下がるから9条を変えて自衛隊を合憲化すべきだとか、あるいは9条をなくして法律で対処しろとかそういう意見もあるそうだが、そうやって立憲主義を擁護するのであれば、まずは憲法と乖離している現実を憲法に合うように変えるのが先だろう、と言いたい(だから僕は、自衛隊は憲法にいう「戦力」でないと信じたい。ついでに、より憲法に適合するよう、規模を縮小するべきだとは思う)。まあ、このへんは禅問答になる可能性が高いのだろうけど。

しかしこういうことを書くと炎上とかするんだろうか。まあそんなに大したブログでもないし、初学者の言うことだと思って見逃していただきたい。>熱湯浴の皆さん

姜教授の語り口もなかなか魅力的で、結構な講演会だった。
最後に、姜教授が北朝鮮との望ましい外交政策を提言する際に引用した冷戦期の外交官(詳細忘れた。知ってる人がいたら教えてください)の言葉を(要約)。

「私は東ドイツから逃げてきた。東ドイツには一刻も早く地上から消滅してもらいたい。しかし現実に、東ドイツは存在する。存在する以上、交渉するのが政治である。」

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