2007年4月5日木曜日

誰がために

ブログ開設からもう15日も経過しているのかと思うと、時の流れの速さ(特に、休暇におけるそれ)を感じざるをえない。
そしてまた、ブログ開設前から読んでいるはずの刑法の教科書をいっこうに読み終えることができないのは何故だろうと、ここに思いをめぐらせる。

そしてまたもう一つの疑問に答えるべく、思索は進む。
すなわち、「このブログは誰を対象として書かれているのか」と。


この問いは、ブログ開設時から心の奥にくすぶっていたものであるが、先日も改めて指摘を受ける機会があったため、ここにおいて改めて考えてみる。

今まで書かれた少ない記事を概観するに、このブログの読者となる可能性が最も高い人は、「法律系の法学部生で、映画好きかつ旅行好き」とでもなるのだろうか。
この種の人々は、確かに少なくはないだろう。しかし、それらの人々の中でも、わざわざ他人の(しかもその道では初学者の)書いたブログを読むという習慣を持ち、かつはるばるこのブログに到達する人といえば、かなり少ないか、少なく見積もれば皆無に等しいかもしれない。

では、その「皆無に等しい人」のために、1記事1時間近く消費し、ブログを書き続ける意味があるのか。

実はこの問い、前提自体がかなり疑わしい問いである。
つまり、「見る人がいないのにブログを書く意味があるのか」という問いの背後には、「ブログは人に見せるために書く」という前提・価値観が存在するのである。そして僕はこの前提には同意しえない。
なぜならば、書きつづること自体に意味があるのであって、人がそれを見ることはあくまでネットで公開することの副次的効果だからである。
頭に浮かんだことを定期的に書きつづり、しかもそれがラベルによって分類されていくというのは、自分の思索のたどった道のりを振り返るようでなかなか乙である。徒然草を書いた兼好法師の気分である。

ならばわざわざ公開しなくても日記つけりゃあいいじゃないかという意見もありそうだが、やっぱりデジタル慣れしてしまっていること、ラベル分けできること、もしかしたら誰かの思想傾向に影響を与えて一大ムーブメントを引き起こす可能性があることなどを考慮に入れると、やはりブログという手段はなかなかいけそうなのである。

もちろん見る人がいなくていいといっているのではなくて、見知らぬ人からのコメントなんかもあると嬉しいのだけど。

結局「見てくれなくったって書いてるだけで満足なんだからねッ!」という自己満的ツンデレ落ちでした。

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