2007年4月1日日曜日

蟲師

昨日、観にいってきました。『蟲師』。
なんというか、漫画ではカリスマなものの、映画ではあまり良い評価のない大友監督、大友作品とは縁がないので分からないが、もしその評判が正しいとしたら、この映画は更にその評判に裏づけを与えることになるのかもしれない。


「なるのかもしれない」と想定的に書いたのは意味があって、それはどういう意味かというと、「結局この映画は『見て楽しむ』ものであって、総合的に『観て楽しむ』ものではないだろう」という感想がある。

『マトリックス・リローデッド』および『マトリックス・レボリューションズ』の時もそうだったのだが、おそらくあれらの映画は「今までになかった奇抜で斬新な映像表現」を楽しむものであって、「ストーリー性・哲学性」あるいは「演技の巧さ」の方に目を取られる、あるいは期待を寄せる、という見方ではあまり楽しむことができないはず。
同じくキアヌ・リーヴス主演の『コンスタンティン』も、今まであまり見たことのないスタイリッシュな表現技法が使われていて、そのスマートさには背筋がゾクゾクしたものだけれど、上と同じ理由であまり評判が良くない。

僕はこのテの「見る」映画がそれほど嫌いではないのだけれど、諸々の映画評論家は『マトリックス2・3』や『コンスタンティン』を酷評する。
こういう人たちは、なんというか、映画の「みかた」を取り違えている、という感じがするのである。
むしろ、それらの映画は確かに「映画」という名は持っているが、実は別のアートであると考えた方がいいかもしれない(いわゆる「比較不能」というやつか)。

もちろん、ビジュアルがいかに洗練されていようとも、「ストーリー性」とか「演技の巧さ」というものが一定以上ないと、エクボもアバタ、腹が立ってきてしまう場合もある。
すこし前に公開された『デビルマン』なんかがこのいい例で、デビルマンのビジュアルは凄いのだが、吹き入れられた声や、変身前の不動明(だっけ?)の演技がチープ過ぎるために、せっかくのリアルな悪魔が台無しだった。

で、話を『蟲師』に戻すと、おそらくこの映画も「見て楽しむ」系の作品であろう。
特に「蟲(あるいは蟲が引き起こす現象)」の表現技法はなかなか新しいものがあったのではないだろうか。
しかしなんというか表現は新しくても流れが単調なので、まあ無理して総合得点出すとすると65点の可、というところだろうか。
同じオダギリなら『東京タワー』のほうがよさそうである。

しかしコレコレ、似すぎだろう、常識的に考えて。



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