2007年7月12日木曜日

法学部試験の出題方法の国際比較

最近更新していないので、昼休みに暇を見つけてサークル室のパソコンから更新→途中から家。
テスト間近なので、テストに関するエントリということで、主題は「法学部試験の出題方法を国際比較する」。まあ興味のない人にはどうでもいい話。


僕は今、週に1コマ、『比較法制論(Comparative Legal System: 通称CLS)』という、米国人の先生の、英語と日本語によるアメリカ民事手続き制度についての講義を受けているわけでありまして、課題等はおしなべて英語で出題されるのです。(ちなみにこの課題というのは、ウェブ上で提出できる電子シラバスシステムを採用しております)
実際まだテストは始まっていないのでありますが、たとえばこの授業の課題の出し方なんかについて、アメリカと日本の出題形式の差というか、比較対象が一講義しかないので実は担当の先生のパーソナリティーに依拠するところが大きいのかもしれないという気はしないではないけれど、しかしやはり出題形式の差、それから、「法」に関する両国の意識の差というものが透けて見えるような気が、するのです。やはり。

たとえばそれはどういうものかというと、日本では、「AB間での事実の列挙」→「さて、AB間の法律関係はどうなっているか」という形で問題が出されるのに対し、そのアメリカ人の先生の場合、上記2つのカギ括弧の間に「さて、Aはあなたを弁護士として雇いました。Aからの次の質問にアドバイスしなさい。」という一文が入る。

まあ結局その文が入るだけで、問われていることは客観的・中立的解釈論であり、これを「出題形式の差」として捉えられるかどうかは僕も疑問があるところではある。
これでもし「Aがあなたを弁護士として雇いました。Aのこのような欲求を満たすためにはどのような主張をすればよいか」という非・中立的な問題提起であれば、「ああ、アメリカはやっぱり実務の前段階として法律教育を捉えてるのかもな」とか言えるかもしれないが、前述したように、単に「文章がすこし増えているだけ」では、そのような感慨もあまり無い。
もちろん、「あまり無い」からといって、全く日米間の差異を感じていないわけではない
やはり「Aはあなたを(以下略」という一文が入ることによって、回答者は架空の訴訟の一関係者としてみなされているのであり、その意味において、アメリカの法学教育(?)は「裁判でどう主張できるか」、すなわち「裁判を前提にした」ものといえるのではないだろうか(もちろん、このことについて、この授業が民事手続制度について扱っているから、という側面も無視できない)。
これに対して日本は、「こういう状況があれば、こういう『法律状況(?)』が成立するんだろうなあ」という解釈を問うているわけで、これも行政主導型国家だからかなあ、ということは、これからは変わっていくのかなあ、なんて思ったりするわけである。

もちろん、「なぜ(日本の)法律学のテストでは、客観的・中立的(=裁判官的・学者的?)な法解釈が要求され、弁護士的(=目的実現のための道具として「法」を扱う?)な解釈は要求されないのか」ということについて、もっと議論の余地がありそうなところだけれど、テスト勉強もあるし、今日はここまで。

とりあえず、コメントにはならないから、京産大の民法の先生のブログにでもトラックバック打って反応見てみようかしらん。スパムだと見なされるかなあ。


1 コメント:

匿名 さんのコメント...

日本は危機的状況です。
是非、お読み下さい。


韓国はなぜ反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/

東亜備忘録
http://kyouji.seesaa.net/

特定アジアニュース
http://specificasia.seesaa.net/

博士の独り言
http://specialnotes.blog77.fc2.com/

厳選!韓国情報
http://blog.goo.ne.jp/pandiani

アジアの真実
http://ameblo.jp/lancer1/

中華的生活「多少銭?」
http://plaza.rakuten.co.jp/chinalifecost/

軍事評論家=佐藤守のブログ
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/

国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm