2007年6月13日水曜日

電子メールの解釈学

本日、ある方から法学部的に興味深い(と、書くと他の法学部生に「んなこたあナイ」と言われそうだが)メールが携帯に届いたので概要を紹介する。

すなわち、「メールの解釈学」について。


法律学の重要な一側面として、「法律というルールの解釈」というものが挙げられる。
例えば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というときの「戦力」とは何か、「保持」というのに在日米軍は含まれるのか・・・等々。ここにいう「ルール」とは、法律学においては多くの場合法律(ちなみに上記の「陸海空軍・・・」は憲法9条2項)である。
つまり、法学部生というのは、結構こういう「文章の裏に隠された意味を読む」とかやっているわけである。となると、法律以外の文章についても、その裏に隠れた意図を無理やり解釈しようとしてみたりもする(のは僕だけであろうか)。

そのいい例として、普段僕たちが使っている携帯メールの中の文言解釈が挙げられる。携帯メールでよく使われる一部の文言の中にも、実はルールが存在するのである。
代表的なもの2つ。「はてなルール」と「じゃあねルール」である。

「はてなルール」の要件とは、相手に送るメールの中、特に文末に「」を挿入することである。この要件が満たされると、我々は「このメールには返信しなければならない」と思う可能性が強くなる。送る側としても、わざわざ「返信よろしく」と書くかわりに、「?」だけをつけておくことが多いだろう。
クエスチョンマーク付加とは、すなわち、「メールのやり取りを続ける提案」である。

一方、逆の効果を持つものとして、「じゃあねルール」がある。メールの文章中に「じゃあね」「バイバーイ」などの文言を挿せば、それは「メールのやり取りを中断する提案」を意味する蓋然性が高い。

ただし、挿入される文言が、常に「?」や「じゃあね(あるいはそれと類似の意味の言葉)」のように意味の取りやすい文言であるとは限らない。「?」や「じゃあね」に似ているが、意味が少々違っていたり、弱かったりする文言も存在するのである。
「?」について例を見るに、「~について意見を聞かせて。」とか「どうなんだ。」といった文言もまた、その趣旨からすれば「メールのやり取りを続ける提案」と解釈可能であろう。「じゃあね」には、「おやすみ」や「風呂入ってくる」等の文言が対応するのだろう。

このように「?」や「じゃあね」と同様の意味内容を持つ文言の範囲を拡大していくと、その領域の端では、本来「?」や「じゃあね」が持つ「提案」の意味が薄れていく。その結果として、メールの書き手において「提案」の意味を含んでいないのに、読み手において「提案」の意味が読み取られてしまうことが起こり得る。
書き手が返信を望まずに「○○って不思議だよね。」と書いたのにもかかわらず、読み手が「これは[不思議かどうか]について俺の判断を煽っている」と読んでしまう場合などがこれに当たる。

この発展として、書き手が「はてなルール」の「提案」とも読めそうな文言とともに、その真逆の、「じゃあねルール」の「提案」とも読めそうな文言を同一メールに挿入してしまうこともある。冒頭の「興味深いメール」というのもそれである。
そのメールはどんな風だったかというと、まあプライバシーもあるから一部変更するが、大体以下の文面を想像してもらえばよい。

レポート書いてました。あなたはあのレポート書きましたか?
お申し込み、了解しました。それではよろしくおねがいします(^ O ^)/~~


こんな感じ。
ここで問題なのは、明らかに一行目で「はてなルール」が適用され、返信を求められているように思ってしまうのだが、文末に「おねがいします」+「バイバイの顔文字」が存在し、ここに「じゃあねルール」が垣間見えることである。一体僕は返信するべきなのか、否か。

これについては、3つの説が(自分の中で)有力に対立している。

まず第一の説が「はてな優先説」である。
この説の主張は、「文章中にクエスチョンマークがあるならば、とりあえず返信しとけ」というものである。この説の主張者は、その理由付けとして
だってクエスチョンマークってイチイチ記号で出すわけだし、その手間考えれば返信して欲しいって思いもあるんじゃないの。それにメールはたくさん送ったほうがコミュニケーション能力の向上になるかもよ。
なんて言っている。思想体系としては、結果主義・功利主義の考え方に近い。
この説を適用すれば、僕は上記メールに返信すべき、ということになる。

一方、「はてな優先説」と対立する説に「文末優先説」がある。
文末優先説とは、読んで字のごとく「文末に近い方のルールを適用する」という説である。何故このような理論が導かれるかというと、
そりゃメール書くのにも一定の時間がかかるわけで、文末の文言のほうが文頭の文言より[現在の心境]には近いだろ。普通文頭から書いて、時間経過後に文末書くわけだし。
という理屈からである。
この理論には、
じゃあ『じゃあね?』とか書いてあったらどうするんだ。両ルールが出された時間的差異はほとんど存在しないじゃないか
という批判が加えられるのだが、文末優先論者は
『じゃあね?』なんて普通書かねーよ
と反論している。
いずれにせよ、この説を採用すれば、書き手としては今現在「返信なくていいや」と思っている可能性が高いわけで、返信はしない方がよい。

第三の説で、萌え萌えブームと相まって、現在学会の多数説となっているのが「書いた人ツンデレ説」である。
この説は、
つまり本当はメールのやり取りを続けたい(=デレである)からクエスチョンマーク入れるんだけど、でもそれじゃあちょっと恥ずかしいから『こ、このメール切っちゃっていいんだからねっ!!』という趣旨(つまりツン)で『じゃあねルール』とも取れる文言を挿入するのだ
と主張する。
確かに説得力はあるが、
じゃあ書き手が男だったどうするのだ。キモい
sneg?(それなんてエロゲ?)
などの有力な批判も多い。
ちなみに、この説は返信するべきか否かについて理論的結末を提示するわけではないが、論者は「ツンデレゲットのために返信すべきだ」と鼻息を荒げている。

で、実際僕がどの説を採用したかというと、どの説も採用せず、こうやってブログにまとめたものの、まあ明日か明後日には話すからいいやということで返信していない。

これだけ長くて理論的な文章を書いたのだから、何らかの反応が欲しいです>ここまで読んだ人。

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