2007年6月7日木曜日

剣闘士スパルタクス

さて、いよいよ明日からは学祭でありまして、サークルでタイ風焼きそば「パッタイ」の屋台を出すわけですが、その売り上げはいかがなるのか。利益が多くあがるほど、打ち上げ飲みの自己負担分が少なくなるので、まあたくさん売れて欲しいところでは有ります。しかし天候がかなり心配。

まあ天気なんて今からどうにかなるものでもなし、とりあえず久々のエントリは佐藤賢一『剣闘士スパルタクス』の書評ということで。


なんだかんだで忙しい日々が続いたので、この本も読み終わるのに相当時間がかかることだろうと思っていたのでありますが、そんなこともない。ローマ共和制末期の、というかローマ史を通じても類を見ないスペクタクルな事件である「スパルタクスの乱」の、生々しくも晴れ晴れしく書きたるに心奪われ、なんだかんだで2日で読んでしまいまった。

しかしこの本にはいい意味で裏切られた。普通(?)「スパルタクスの乱」といえば、剣闘士=奴隷であるスパルタクスが、見世物にされる日々から逃れ、真の自由、魂の開放、魂の開放は言いすぎだけど、とにかく崇高な理想を抱いて当時圧制を強いていたローマに対して反旗を翻し、自由を求めて闘う、バトルフォーフリーダムみたいなイメージがあったのだが、この本のスパルタクスは結構違う。
この本のスパルタクスは剣闘士としては天賦の才に恵まれ、とりあえず強いしイケメンだけど粗野で結構適当で、闘うことに自らのアイデンティティを求めてて、それ以外とりえがない、といった感じの超マッチョなダメンズ系。反乱を起こすにしても、「自由を求めて」とか「圧制を取り除く」といった崇高な理想があるわけでもなし、その後のビジョンが何か存在するわけでもなし。物語の前半は、最強剣闘士兼出張ホストみたいな苦悩と、反乱を起こしても相変わらず殺人マシーンでしかないという苦悩、この2つの苦悩が生々しくせめぎあう。

後半では、スパルタクス以外のキャラクターが持つそれぞれの苦悩の道も示され、スパルタクスの進む茨の道もより一層刺々しくなる。また、スパルタクスを単なる「自由の闘士」として描かなかったことが、ルビコン前後で効いてくる。佐藤賢一のキャラクター描画の秀逸なところである。そして物語は微妙な落としどころへ向かっていくのだが、まあこの辺になるとそれまでの勢いもなくなってきて、ぎりぎり及第点といったところになる。

全体的に見ると、個々の登場人物の描写は流石歴史小説の若き旗手だけあってなかなかのものがあるなと唸らせられるわけだが、ストーリー後半の失速ですこし減点になる。また、せっかくルビコンでの伏線(?)があるのだから、カエサルのことをもっと魅力的に描いても良かったのではないかと思った。ページ数も文庫で400ページを超えているので長いといえば長いのかもしれないが、スパルタクスをもっと魅力的に描くためには3倍、上中下三巻組みくらいの長さの方が良かったのではないだろうか。

彼の他の著作では『双頭の鷲』と『傭兵ピエール』を文庫で、『女信長』を新聞の夕刊でそれぞれ読んだが、やはり独特のリアリズムはきらりと光るものがある。
あとは『カポネ』と『カエサルを撃て』が読みたいが、最近金欠だしなあ。

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