2008年4月6日日曜日

中国人の引越しを手伝いに行ってきた話

長かった春休みもあと一週間で、春休みの残り日数に反比例して鬱々度が上がっていくような、それでいて新学期の始まりをどこか期待するような、そんな相反する2つの感情を抱えて日々を過ごしているわけですが、さて。

そんな春休みの終わりごろ、一件の依頼が舞い込んできましたよ。


なんでも、留学生の引越しを手伝って欲しい、とのこと。
引越しといっても、当該留学生A氏としておきましょう)の家のベッドが大きすぎるから、それを共通の友人Nさんとでもしておこうか)宅の、もうすこし小さいベッドと取り替えて、それを留学生の新居に運んでくれ、というもので、なぜ僕が呼ばれたかというと、そのベッドを運ぶ際にトラック(いわゆる軽トラを運転する必要があるのだが、その運転手がいないから、らしい。
察するに、最初A氏はNさんにトラックの運転ごと頼んだのだろう。しかし、運転には不慣れらしいNさんは、ベッドの交換までは承諾したものの、トラックの運転は別の人にしてもらうことにしたらしい。おそらく僕に頼む前にも何人かの人に運転を頼んで断られているはずで、というのも僕自身は運転免許取得後もうすぐ2年だが、かといって頻繁に車を運転するわけでもなし、1週間に1回運転すればいいほう、というレベルで、大学でも車を頻繁に運転しているキャラではないのだ。もちろんトラックの運転なんてしたことはない。

最初トラックの運転をしてくれと頼まれた時は、トラックなんてどうせMTだし(AT限定の免許しか持っていないのだ)、そもそもそんなものを運転して引越し屋もどきをする自信もなかったのでやんわり断った(つもりだった)が、どうもATの軽トラを、レンタルするという契約を既に結んでいたらしい。
まあ家にいてもたいして生産性のあることをしているわけでもなし、そこまで周到に準備されている計画をむげに断る理由もなし、ということでその時は軽率に引き受けてしまったのだが、よく考えてみれば、運転手未定なのにトラックのレンタルしてるとか、逆に計画性がゼロであるということに気づかなかったのは、ぬかったとしか言いようがない。

というわけで手伝い当日。早速レンタカー屋からトラックで出発した。
軽トラは初体験だったが、まあなんということはない。と思った。座席は少々高いかもしれないがそれほど気になるわけでもなく、後ろが長いのも気をつけていれば苦にはならない。とはいえ、傍目八目というか冷静客観的な視点というか、もしかしたら助手席のNさんは結構怖い思いをしていたのかもしれないが。

で、留学生宅(大学の敷地内にある留学生用のアパート)
そこで我々を待っていたのは、ゆうに2件分はあろうかという家財道具。前述したように、僕が頼まれていたのはベッドを運ぶという仕事のみであった気がするのだが、どうやらそれは間違いだったようで、メールに書いてないからといってその仕事がないわけではないのだ、という悪魔のささやきが聞こえたわけだ。とはいえ、これ明らかに1件分の家財道具じゃないじゃん、依頼者は1人だったはずだけど、そこんとこってどうなんだ、なんてことも、この場に至って言えるはずもなかった。

でっていう。
とりあえず留学生アパート前にトラックを停めたのだが、依頼主のA氏は、遠路はるばる電車を乗り継ぎトラックを運転してきた苦労人(すなわち僕なのだが)に礼の一言を述べる前に、いきなりトラックの停め方に難癖をつけ始める始末。これだから特ア・・・いや、なんでもない。とりあえずこの軽トラの荷台は3方向すべてにオープンにできるから、どっちを向けて停めても変わらんのだって。
最初からこんな歓迎を受けるとは、と半分呆然としている僕をヨソに、A氏(と手伝いに来ているA氏の友人達)はトラックにどんどん家財道具を積み始める。
高さとか、どのくらいまでなら法律の許容範囲かなあ。こんなところで減点されたくないなあ。などというぼやきもあるのだが、一応手伝う。我ながら涙ぐましいね。一応、「そんなところに積んだらバックミラーが見えんがな」とかは言っておいたのだが、しかし結局バックミラーが意味を成さない高さまで積まれてしまった。

荷積みが終わり(「終わる」といっても、A氏の荷物が積み終わっただけで、まだ半分残っている)、A氏の新居へ出発。
助手席はNさんからA氏に代わり、A氏の道案内で新居へといざなわれることになるのだが、やはりA氏はなかなかの曲者で、そこ曲がれったって、一方通行なんだから曲がれねえじゃん、もう少し早めに指示出そうよ。などということがままある。まあこちらの道路標識とか知らないだろうからその辺は多めに見られないこともないのだが、だからといって曲がり損ねたトコで舌打ちすんじゃねえよ、ぐらいはここで愚痴っても問題ないだろう。こちとら時間を割いて無償で手伝っているというのに、である。

そんなこんなで新A氏宅で荷物を降ろし、今度はA氏のベッドとNさんのベッドを取替えにNさん宅へ。
Nさん宅はマンションの5階であり、ここまでベッドを運ぶのも一仕事であり、そしてここではNさんの根回しで2人の日本人学生(A氏とは縁もゆかりもない)が巻き込まれ、そんなことはA氏は露ほども知らぬであろうが、まあそんなことはどうでもいい(ホントはよくない)
Nさん宅のベッドは簡単に分解できるシロモノなので下に降ろすのは簡単だったのだが、A氏のベッドは足以外分解不可能で、かつデカイ。これを階段で5階まで運ぶとなるとこれは大した重労働で、運び終わった後にカッターシャツが汗で皮膚に密着していたのは、桜の咲きはじめの季節には到底想像もできまい。

本来なら、というか、僕の事前の想定によれば、ここで仕事が終わって然るべきなのだが、現実はそんなに甘くなく、日本人学生の引越し屋に便乗してやろうと身構えているもう一人の留学生(B氏とでもしとこう)の荷物も運ばなければいけないらしい。
2時に引越し業を始めて、既に2時間半が経過。時は4時半であった。この日は6時から予定があったため、5時にはトンズラしなければならない。よって、引越しに使える時間は残り30分である。

で、B氏の荷積み。これぐらいなら自転車でラクラク運べるだろうよ、というものまでガシガシ積むので、またバックミラーが無意味なものになってしまった。
しかもB氏、この後に別の場所からベッドや冷蔵庫、洗濯機なども積んでくれ、などと言い出す。このあたりでNさんも僕のことを不憫に思ってくれたのか、いやコイツはあと30分しか時間がないゆうとるけん、それはちょっと難しいんとちゃいまっか、などとB氏を説得にかかってくれたのだが、馬耳東風とはこのことで、その後もB氏は冷蔵庫の運搬ルートなどを説明し続ける始末。
仕方がないからこちらも実力行使(?)で、出発目前になって「あと30分切ってるんだ。とりあえず冷蔵庫ほっといてあんたの新居行くぞ!」てな感じで強行出発。こちらの言い分が通ったのは全体でここぐらいなモンだろう。B氏になんとか諦めさせた。

で、B氏の新居で荷物を降ろす。さあやっと帰れると思ったら、B氏からお礼が。
もともとボランティアサークル活動の一環のつもりだったのでお礼なんてもらうつもりはなかった。金銭出されても拒否して帰ってくるつもりだったさ。ホントに。
だが、休日3時間トラックを乗り回し、肉体労働込みの依頼の報酬にB氏が差し出したのは、北京オリンピックのキーホルダー、ってなんじゃそりゃ
このときばかりは北京オリンピック反対ー!とか叫びたかったね。いや、オリンピックに出るか出ないかなんてのは選手が決めればいいことで、国ごとに出場・出場せず、みたいにするのは気に食わんけどさ。

まあいいさ、留学生も色々大変だろうからな。だけど次からはミニ○ニとか呼べよ、ああいうとこなら引越しの手伝いもやってくれるから。

というのは、真実に限りなく基づいたフィクションであります。というのも、限りなく透明に近いレッドはやはりレッドでありますので。

で、こういうわけで昨日は遅れたんです。
こたつ氏、ちゃばしら氏、コレたつ

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